対談③ 今井蒼泉さん

華道家

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信州大学で哲学を専攻。大学卒業後、大手書店に営業職として入社。その後「一般社団法人 龍生華道会」に入社し華道の世界へ。2000年に龍生派の吉村華泉三代家元より花号“蒼泉”を拝受、その後龍生派教授資格取得。2008年、東京都認定大道芸人資格“ヘブンアーティスト”登録。2014年“敷居の高い和の文化をカジュアルに伝える”をモットーとする「粋プロジェクト」に参加。クラブイベントでのデコレーションや陶芸家とのインスタレーション展など、従来の枠組みにとらわれない活動を展開。またエフェクターに鋏をつなぎ花材を切るという独特のスタイルでDJやミュージシャンと共演。

 

 

 

皆さんは“華道”と聞いて、どのようなイメージを思い描くでしょうか?着物に身を包んだ人が、厳かな空間で剣山に1本1本丁寧に花を挿していく – このような感じだと思います。

それでは、この映像をご覧ください。

鋏をエフェクターにつなぎ、リズムに合わせて花材を切ると、鋭い音が響き、空間を切り裂く・・・目だけでなく耳でも鑑賞するという、これまでに全く存在しなかった新たな価値観をいけばなにもたらしたパンクな華道家・今井蒼泉さんが今回のお相手です。
約2年前に出会い、共にイベントを開催させていただいた間柄ではありましたが、膝を付き合わせてお話をお聞きするのは、これが初めてでした。新進気鋭の若き華道家が、独自のスタイルに到達するまでをお聞きしました。

*インタビュー@亀戸

 

“転職”で出会った華道の世界

徳橋:今井さんが華道の世界に入られたのは20代半ば頃だったとお聞きします。それまでは、いけばなのバックグラウンドはあったのですか?

今井:全くありませんでした。花だけでなく芸術全体まで広げて僕の過去を振り返ってみても、自ら創作活動に取り組んだことは、いたずら書きを除いてほとんどありませんでした。でも見るのは好きで、高校生くらいの頃から美術館やギャラリーには通っていました。そうそう、書道部にも在籍していましたね。

徳橋:なるほど、芸術や表現活動のバックグラウンドはあったわけですね。

今井:そう言われてみるとそうですね。他にも5歳頃から中3までオルガンを習っていました。実は、中学2、3年になったときに、そういう年代の時に音楽をやっている人の誰もが意識する選択肢として、音大への進路を取るかどうか、ということに直面して。そこまで音楽に賭けられるか?・・・いや、違う気がする、と。まぁ才能の有無も大きかったとは思いますが(笑)。そのあとも音楽が嫌いになったわけではもちろん無く、とはいってもギターやベースを自宅で爪弾く程度でした。

徳橋:ミュージシャンとコラボするだけあって、やはり音楽の素養はあったのですね。それに書道もされていた。でも、なぜ最終的に華道を選ばれたのでしょうか?

今井:転職です。

徳橋:え?転職・・・ですか?

今井:ええ。25歳の頃に転職したところが、今も所属している「いけばな龍生派」でした。

徳橋:なるほど!でも、どのようにして龍生派に入ったのですか?

今井:普通に転職雑誌に載っていたんです(笑)いけばなというと、大抵はお堅い伝統文化の世界を想像すると思いますが、龍生派の求人広告には「現代美術や建築とのコラボレーションも視野に入れていく」という言葉が踊っていました。それに惹かれて入社しました。

もともと僕は、書籍や雑誌の編集者になりたいと思い、就職活動で出版社を片っ端から受けていました。その中で紀伊国屋書店に出版部という部署があることを知り、大学卒業後に入社しました。

しかし実際の仕事は、大学の図書館や研究室、官公庁を回る営業でした。常に出版部への配属願いを出していたものの希望は叶わず、その上、入社して3年が過ぎた頃に鹿児島営業所配属の打診がありました。

「これは決断するときが来たんだな」と、転職活動を本気で始めて。そこで出会ったのが、いけばな龍生派が発行していた月刊誌や会報の編集職の募集だったのです。

徳橋:花へのご興味は、昔からあったのですか?

今井:道端に生えている花は、結構好きでしたね。野に咲く花の美しさに惹かれていたのだと思います。だからそれらを切って自分のものとして愛でるいけばなに対して疑問を感じなかったわけではありませんが、植物との一つの向き合い方としてのいけばなに、強い関心を抱きました。

でも結局は、龍生派が打ち出していた「現代美術や建築との融合を試みる」という姿勢に魅力を感じたところが大きかったのだと思います。もし同じことを美容関係の会社の求人広告が言っていたら、美容の道に進んでいたかもしれません。

徳橋:いけばなとの出会いは極めて偶然だったわけですね。でも、ご自身でいけばなを始められたきっかけは何だったのでしょうか?

今井:実は会社の福利厚生だったんです。

徳橋:福利厚生?

今井:そうです。それに、いけばなの雑誌を編集するならば、自分も実際に体験していた方が絶対に良いだろうと思いました。それで龍生派の家元が開いていた教室に通い始めました。

徳橋:実際にいけばなを始めてみて、面白さと難しさのどちらを強く感じましたか?

今井:面白さですね。その当時は言葉に表せませんでしたが、今振り返ると、その面白さの理由は「正解が無いから」だと思います。

植物は、一つとして同じものは存在しません。菊を例に挙げると、たとえ以前美しく菊をいけられたとしても、次にいける時に手に取る菊の姿は前と同じではない。そこで再び同じように美しくいけられる保証など無いわけです。しかも、花をいける自分自身の気持ちや意識も反映されます。たとえ以前と全く同じ花材が用意されていたとしても、その時のいける人の心理的な状況や意図によって、完成した作品は激しさを前に出していたり、逆に穏やかな佇まいを見せることもあります。そんな“一期一会”のようなものを感じました。

徳橋:これは穿った見方かもしれませんが、音楽の道をあきらめ、美術は見るのは好きだったけど自分ではいたずら書き程度だった。そして最初に入った会社では編集をやりたかったけど、結局はできなかった。表現欲求はずっとあったのに、十分にそれを満たすことができなかった – そんな忸怩たる思いを長い間抱えていたのではないでしょうか?

今井:そうかもしれません。特に編集に就けなかった最初の職場での3年間は、そうした思いが強かったと思います。実はその間も編集職を目指して転職活動をしており、表現欲求が高まっていた頃でした。そんな折に、自分の身一つで表現できる芸術としてのダンスに憧れていた自分を不意に思い出しました。

でも、なんだか変な話ですが、そこでグッと我慢したんですね。「もしここで自分の中にある表現欲求を満たしたら、編集の仕事に就きたいという渇望が薄れてしまうのではないか」と思ったのです。しかし出版部転属の可能性はどうやらなさそうだと思い、また、営業職というのも本気でやれば面白いのかもしれない、と思い始めたとき、“それなら”と、ジャズダンスを習い始めました。

徳橋:なるほど、でもダンスではなく、最終的にはいけばなの道を歩まれましたね。

今井:そうですね。ジャズダンスから始まり、今でもダンスや身体表現の活動を続けていますが、活動の中心はいけばなです。最初から指導する立場を目指していたわけではなく、「ある程度のところまで学んでみたい」と思いで続け、“蒼泉”という花号をいただき、2000年に“家元教授”、つまり家元が認定した指導者になりました。もはや趣味としていけばなを嗜む人間ではなく、本格的に華道家として認められた瞬間が来た – そう感じたところがあったのかもしれません。

 

“鋏+電気+エフェクター”の理由

徳橋:今井さんを語るのに絶対に外せないのが“鋏に電気を通して鳴らす”という極めて独特のスタイルです。龍生派という流派そのものが、華道の中でもかなり思い切った試みをすることで有名とのことですが、まさか“鋏をアンプとエフェクターにつなぐ”ところまではたどり着かなかったと思います。この表現スタイルに行き着いたのは、何がきっかけだったのでしょうか?

今井:2008年に行った絵画展でのライブです。その画家の方がある和太鼓奏者と知り合いで、和太鼓奏者とつながっていた僕は、そのライブへの共演に誘われました。

ギャラリーという空間は、音が良く反響するんですね。和太鼓の音を聞きながら、リズムに合わせて花材を切る時、その音が予想外に大きく響いていることに気づいたのです。

それからしばらく後、家にあったエレキギター用のアンプとエフェクターに鋏をつないでみようと思い立ちました。実際に試して「これだ!」と。

徳橋:これまでのストーリーをお聞きして、全てが集約されている気がしました。高校生の時にギャラリー巡りをし、ベースやギターを爪弾き、ジャズダンスでリズム感を養った。それらが全て、鋏をエフェクターに通すことでつながったのだと思いますが、いかがでしょうか?

今井:そうですね。僕の中ではあまり意識せずに“ダンス・音楽・いけばな”がつながり、さらに素材の魅力や面白さを引き出す“編集”の要素も加わって、ひとつのデモンストレーションにつながった感じです。

徳橋:少しずつ試してきたことは、いつか必ず結実する時が来るんですね。

今井:自分のこれまでのヒストリーの中から各要素を拾い上げて編み上げるというのは、ある部分は偶然性によるものだと思いますが、振り返ってみると、自分の閃きや意図も少なからずあったような気もします。

徳橋:ただ、“鋏をエフェクターにつなぐ”というスタイルにたどり着いたのは、自然の流れだったわけですよね。

今井:そうですね。そもそも僕がライブパフォーマンスをするようになったのは「いけばなは素晴らしいものなのだから、もっと多くの人に見て欲しい」というシンプルな欲求からでした。いけばなと聞いて多くの人がイメージするのが、デパートの上の方の階で催されている展示会です。他の絵画展などとは違い、内輪の人たちだけが来場する、閉ざされた芸術という印象を抱かれています。だから僕は、いけばなを見たことがない、いけばなに興味すら持たないような人たちのところに出て行こうと思いました。

「もしかしたら批判を受けるかもしれない」という思いは、無かったわけではありません。龍生派内からだけでなく、他の流派から批判の矢が飛んでくるかもしれない。でも「その時はその時だ」と腹をくくりました。それはある種、勝手な“使命感”のようなものから生まれた発想だったのかもしれませんね。

 

初めて意識する“日本”

徳橋:2014年、今井さんは「粋プロジェクト」という団体にコアメンバーとして参加し、それ以来、主催者側兼出演者としてパフォーマンスを展開しています。その一方で、今井さんはご自身のお名前でもイベントを多数開催していますが、粋プロジェクトでパフォーマンスを行うのとは、どのような違いがあるのでしょうか?

今井:意外に思われるかもしれませんが、僕が主催するイベントではあまり“伝統文化”の色を前に出しません。舞踏や音楽などまで含めた芸術の在り方の一つとして、いけばなを提示しているつもりです。

でも粋プロジェクトにいる時は、“日本”というものを考えます。実はどちらかというと、僕はそれほど日本というものを考えたことがありませんでした。

徳橋:それは面白いですね。いけばなという伝統文化の世界に身を置きながら、日本についてあまり意識されたことが無かったというのは・・・

今井:そうですね。なぜなら僕は「伝統文化だからいけばなを選んだ」というわけではない。そんな僕が改めて日本というものを考えさせられる場が粋プロジェクトです。

粋プロジェクトのイベントには外国人も多くいらっしゃいますが、そういう人たちの前で花をいけると、彼らの目には”Japanese traditional ikebana”として映る。僕としては別にtraditionalだと思っていけばなと向き合ってきたことはありませんが、そういう見方があるのだということに、真剣に向き合っていかないといけないと考える機会をくれる。さらにはセルフプロデュースのイベントでは見えない、主催者の人たちの目に僕のパフォーマンスがどう映るかを知ることができるのが「粋プロジェクト」ですね。

徳橋:なるほど、客観的にご自身の姿を確認できる場ということですね。

今井:そうです。10月15日に隅田川沿いで野外イベントを行いますが、2通りの入り方があると考えています。1つは、いけばなを目的としてお越しになる。もう1つは、別の様々なパフォーマンスやイベントを目的にいらして、僕のパフォーマンスもその流れでご覧いただき、後でプログラムを見て「いけばなの人が行っていたパフォーマンスだったんだ」と気づく。それも大いにアリだと思っています。


ピアノやVJ、ダンス、声明と共演
2015年5月

 

徳橋:今井さんにとって、いけばなって何ですか?

今井:常に自分に対して問い続けている行為です。

いけばなという行為は「命あるものを切って自分への慰みものとして愛でること」とも解釈できるでしょう。だから僕は、いけばなを始めた20数年前からずっと問い続けています。「これには何の意味があるのだろう?」「これが人に対してどのような影響を及ぼすのだろう?」と。つまり「花をいけるって、何だろう?」という疑問を絶えず抱えているということです。

その答えは、きっと見つからないでしょう。でも、それで良いと思っています。むしろ慣れてしまって、問わなくなってしまうことの方が怖いですね。

花という、決して自分の思い通りにはならない“他者”を通して、僕は“自分を発見している”のだと思います。花に向き合って気づくことが多くあれど、それはつまり、気づいていなかった自分を発見するということなのだと思います。

 

今井さん関連リンク

公式サイト「so-sen.net」:www.so-sen.net/
粋プロジェクト:ikipj.com/
今井蒼泉さん出演!2016年10月15日(土)開催の野外イベント「画楽人〜秋のうらら〜」の詳細はこちらから!